子供と少女と大人の違い

ついったーで幾らか似たようなPostをしているのですが、さすがに文字数に収めきれなくなりそうなのでこちらで録りとめもなく言葉を吐いていってまとめようと思います。いろんな意味で変態注意。

本日抗議前の教室内、友人との一幕にて「コミケで究極のロリゲー、具体的には幼稚園児と小学生しか扱わないサークルがあるんだ」の一言からロリコン談義に発展したのですが、その際にワシはこんな発言をかましました。ついったーのPostからそのまま持ってくると、
「幼稚園児とは性的に愛するんじゃダメなんだよ、愛でてこそ価値があるんだよ。愛していいのは初潮を迎えてからだ」
この一言で友人一同から本物の変態認定されました。ワシ自身にとっては至極真っ当な意見を述べたつもりだったのですが、どうも意見の齟齬が発生してしまったようです。それからはそのネタは禁句扱いされ、自然と別の話題へと移りました。

エロゲにも、いやさエロゲに限らず創作物には相応のゾーニングが必ず存在します。特に性的表現へのゾーニングは年齢表記を曖昧化することで低年齢への性交渉も形骸として認められている形をとっています。中でも見た目が幼稚園児にしか見えない性別女性との性交渉を表現するものをごくたまに見かけます。しかしワシは幼稚園児に対してはとても性的な目で見ることは出来ず真っ先に拒否反応を起こしてしまいます。それは性的な経験のない、全く知らない純真な精神と肉体であることに、「子供」としての感情しか抱かせないからです。子供はなでるように愛でてこそ愛くるしさと可愛らしさが強調され芸術品として、または愛玩動物としての価値が高められるのです。一部の大人は言います。「その純真な心に性的快楽を刻み付ける様が堪らない」と。それはワシにとっては棚の奥にしまいこんでまで大切に保存してきた宝物を汚物で汚される感覚を抱かせるには十分な暴論です。精神的レイプです。
そんな純真な芸術品であり愛玩動物さながらである子供が性的な対象として昇華する瞬間と言うものがあります。

それは初潮です。

初潮とは人間の肉体的機能から性交渉を行った上で妊娠が可能になった状態を人体に知らせる生理現象です。性別女性の子供にとっては初めての月経。命の尊さを改めて学ぶ瞬間です。その初潮こそが、子供として愛でられてきた人間が「少女」として一皮向け花がひらいた瞬間でもあるのです。初潮とはしかるべき成長と言うステップを踏んでしまったと言う時が経つことへの無常感と共にしかるべきステップを踏んだ先にようやく性交渉を許された少女と言う存在へと変貌したと言う事実を表す証なのです。それこそがワシの求める性的な性徴。初潮を迎えて初めて性的対象として愛することが許されるのです。

ですが悲しいことにその少女も何れは成長していきます。知識もつき肉体もどんどん大きくなっていきます。一部人間から老獪扱いされる悲しい運命、悲劇的結末しか想像できません。少女であることにも限界がやってきます。しかしその熟れた少女にも、もう一皮向ける機会があることを忘れてはいけません。開放的な気分。性的な教養も素養もついたエンドレスサマー。その果てに行き着くもう一つの、最後のステップ。

それはロストバージンです。

ロストバージンとはつまり処女喪失。自らの体に性的行為を刻み付けると言う性徴の果てに行き着いた成長を痛みと共に実感すると言う「大人」へのステップアップを果たした儀式なのです。ロストバージンとは男性に心も体も委ねた女性的成長を表し、委ねることへの信頼と悦びを知ることへの歓喜と痛みに対する不安を一緒くたに脳裏を駆け巡ると言う、とてつもない情報量を内包しつつ、それらを実感として脳内に記録し記憶させる女性への完成系へ至る最後のステップなのです。ココこそが成長の果てにあるもの。本当の性的快楽を身に着けて少女は一つ悟るのです。大人になると言うことはこういうことなんだと抽象的に悟るのです。こうして少女は完成され、大人の女性へと変貌を遂げていくのです。エンドレスサマーにも何時か終わりがやってくる。


まーつまり最終的な結論は「愛するには少女から。大人になるには一発ヤろうぜ」と言うことで。(最低)