主人公に望むもの 〜なかひろの場合〜 ver.0.5

(初出:theoria『恋愛ゲームシナリオライタ論集+10人×10説』)


※本文には『こいとれ』『星空のメモリア』(以下『星メモ』)『星空のメモリア Eternal Heart』(以下『星メモEH』)『Happy Wardrobe』(以下『HW』)の重要なネタバレが含まれています。


0.前書きと略歴

 まず前書きとして一つお詫びせねばならないことがある。それは自分がなかひろ作品を全てプレイしている訳ではないと言うことだ。
 なかひろとはフリーランスのシナリオライタ、スクリプタとして2004年頃から活動し始めており、初期の作品群として、主にちぇりーそふとの後継ブランドであるArtにて企画・シナリオを担当していた時期がある。その時代の代表作として挙げられるのが『Naive』『深紅のソワレ』『ヘブンズケージ』の、世界観を共有する3部作とArt最終作である『こすちゅーむ☆ぷれいやー』である。Artがブランドとして消滅して以降は銀時計『こいとれ』、フェイバリット『星メモ』とそのファンディスク『星メモEH』、Shallot『HW』など多彩なブランドで企画・シナリオを担当している。ここではArt時代を『前期』、それ以降を『後期』と便宜的に名付けることにする。
 しかし、現時点で自分はなかひろ作品の『後期』しかまともにプレイできていない。言い訳にしかならないが『前期』は本文に取りかかるにあたりプレイする時間を割くことが出来なかったのだ。
 『前期』を視野に入れない不完全な内容になってしまったことを、この場を借りて謝罪する。
 故に本文では『後期』にのみ焦点を絞った観点からなかひろ作品について語ることになるからこそver.0.5として記されている。不完全であるものの、その中で『後期』のなかひろ作品から見えてきたモノだけでもここに記して、なかひろのシナリオライタとしての特性を記録し伝えていくことを目的としている。
 以上のことを前提に、しばらくの間拝読していただければ幸いである。


1.記号的な共通項

 『後期』にのみ視点を絞っているとはいえ、2007年6月〜2010年11月の約3年半もの間になかひろが企画・シナリオを担当した作品はファンディスクを含めて4作品に上り、ほぼ1年に1作品はシナリオを書き上げている計算になる。単一のシナリオライタによる制作スパンとして見れば安定したリリース間隔であり、年単位で定期的に作品を仕上げる姿勢はまさに職人芸と表しても差し支えないかもしれない。
 しかし定期的に作品を送り出してはいるものの、同時に顕著に表れている特徴も見受けられる。それは『後期』においては全体の話運びや設定に重複や共通点が見つかる点である。
 まずは主人公の置かれた境遇と物語上の設定について具体例をいくつか記していこう。
 『こいとれ』の主人公、遊は母子家庭であり、物語が始まる前に母親を病気で亡くしている。残された家族は妹である海しかいない。そんな遊の前に、定員割れで廃部寸前まで追い込まれた恋愛部なる部活の部長であるカナ先輩が部員として勧誘するところから物語は始まる。
 『星メモ』の主人公、洋も同様に母子家庭であり、その母親も病死したことを機に幼い頃生まれ育った町である雲雀ヶ崎に引っ越している。残された家族も異父兄妹である千波しかいない。洋自身は幼なじみである夢の影響で星空に思い入れがあり、学園でも天体観測サークルこと天クルに入部することになる。
 『HW』では主人公、明人の両親はさすがに健在だが、共にコスプレイヤーとしてフランスに長期の旅行に出かけており、双子の妹の実恋子と実質上の二人暮らしをしている。そして将来入学する学院のレクリエーションで披露された、在校生の爽乃主演による演劇を観賞し「彼女の衣装を作りたい」と願ったことをキッカケに、演劇部を創部するまでに至る。
 つまるところ、主人公およびその兄妹には日常的に両親という存在が不在であり、物語の中心が部活であると言った共通点が確認できる。しかも、この作品を越えた骨子部分が一見かぶっていることは主人公や設定に限ったことではない。
 最もわかりやすい例をもう一つ紹介するなら「ツインテールのヒロインが生徒会役員、ただし主人公に暴力に訴える」だろう。
 『こいとれ』では従姉であるうたはが失言をした遊を通学カバンで殴り飛ばしていた。
 『星メモ』および『星メモEH』では同級生のこももが同じく失言をした洋を蹴り飛ばすシーンが何度もあった。
 『HW』も先輩である蒔に失言をする前に先読みで蹴り飛ばされるシーンが既視感を誘った。
 作品の垣根すら意識させない、どこか見覚えのある光景の数々はキャラクタの記号的な属性などにも適応されている。「ツインテールのヒロインが生徒会役員、ただし主人公に暴力に訴える」だけでなく他にも「世話焼きたがりのお姉さん」の役割も全ての作品に共通して登場している。逐一言葉にして挙げていくとキリがなくなるくらいだ。
 さらにこれらの既視感を象徴するものとして、最も印象的なやりとりがある。

【蛍子】「小萌ちゃんはかわいいですねぇ」
【小萌】「……頭撫でないで」
(こいとれ『10月9日』)

【洋】「まあ俺も、メアとふたりきりのほうがいいかな」
【メア】「そ、そうなの?」
【洋】「それこそ、当たり前なんじゃないか」
【メア】「………」
【洋】「なんでぶすっとしてるんだ」
【メア】「あ、頭撫でちゃダメ……」
(星空のメモリア Eternal Heart メアアフターストーリー『December 4』)

【雪見】「偉そうなのが癪に障りますが、とっととください」
雪見はずいっと手を出してくる。
俺は頭を撫でる。
【雪見】「……なにをしてるんですか」
【明人】「報酬を払ってる」
【雪見】「バカですか?」
【明人】「630円の価値はあるだろ」
【雪見】「……慰謝料を請求したいくらいです」
(Happy Wardrobe『4月7日』)

 微笑ましい一幕であるが、各作品が別物であることを鑑みてもパターン化されていることは明白である。
 以上のことから、なかひろ作品はシチュエーションの引き出しが必要最低限しか用意されていないことが明るみに出ている。これにより作品を越えて採用されるやりとりやキャラ属性がテンプレートの一つとして類型化していく。それにより上記の諸要素はなかひろ作品における一種のお約束として描かれているのである。謂わばこれまでの作品の下地は全て同様の素材によって組み上げられていると言っても過言ではないだろう。お約束を多様することでシナリオを動かす、キャラクタありきでシナリオを動かすライタであることが伺える。


2.『こいとれ』のパーソナリティ隠蔽工作

 これまでに言及した、お約束や記号やテンプレートなどを下地としてどのような人間模様が描かれているのだろうか。確かに『後期』におけるこれまでの作品群は総じて学園生活で謳歌する青春なるものを端的に表現した部活モノであり、それ単体で考えれば憧憬を抱くほどに眩しい活動であろうと推測することはそれほど難くないだろう。人によっては羨ましいとすら思えるくらいに綺麗なモノに見えるだろう。
 だが現実は決して綺麗なモノだけでないことだけは確実だ。現実そのままならそれでよかったのかもしれないが、曲がりなりにも創作物としての恋愛ゲームである以上、現実を意識させないことこそ肝要である。だが実際問題作品をプレイしたことで「必ずしも綺麗でない」と断言するしかなくなってしまう。そんな印象を抱かせる原因となっているのが、なかひろ作品を彩るキャラクタたちにある。その中でも特筆すべきは物語に直接的に関わってくるメインキャラ…主人公やヒロインたちによって引き起こされているのは言うまでもない。ただし一口にキャラクタが原因と言ってもキャラクタの何が作用して綺麗だと一言で片付けることが出来なくなるのか、それを明言する必要がある。その原因が最もわかりやすい形で表面化していたのは『後期』最初の作品である『こいとれ』だろう。
 まずは『こいとれ』の物語の中心となる恋愛部と言う珍妙な名前の部活がどう言ったものかを説明する必要がある。恋愛部とは名前だけ見るなら出会い系サークルと勘違いされがちで実際そのような悪評も立っているが、本来は何らかの理由で恋することすら出来ない生徒が「本気の恋とは何か」を模索するためにミーティングを重ね、ラブロワと言う独自のルール…二人一組でタッグを組んで、それぞれプレイヤーと組んでいるパートナーが誰かと肉体関係を得ることをプレイヤーの敗北条件とし、最終的に生き残ったタッグが勝者となる…の元に1年間恋を捜し求める部活である。*1こうして見れば恋愛ゲームのフォーマットにおいて恋愛するための部活を描くことは実にあざといやり口であると感心するが、まず名前の時点でパラドックスが既に生じていると言わざるを得ない。恋愛部の理念は「本気の恋を見つけること」であり、部員の大半も恋することや恋を見つけることを目的としているが、それは遡れば恋することが出来なくなった要因があることと同義である。ではその要因とは何かを列挙していくと、「本気の恋がわからない」「男性恐怖症で恋愛出来ない」「失恋の痛みで恋愛が怖い」などが主に挙げられる。恋愛に踏み込む以前に、まず本人の経験で裏打ちされてしまった心理状態を優先的に解消することに専念せねばならないと言うのに、その問題を放置した上でラブロワなどの部活を通して恋愛を見つけようと言う活動内容自体が土台の脆弱な茶番にしか映らないことは明白である。
 こうしたパラドックスは部活内容だけに留まらず、キャラクタ個別の性格や行動理念にも当てはまっていく。主人公の遊は母親を亡くしたことで一人残された妹・海の世話を義務化し自らに課すあまり自分の楽しみを放棄しかけ、甘えると言う行為を忘れかけることになるし、海も同様に「泣いちゃったら天国のお母さんが心配するから」と信じていて、泣きついて甘える行為を自ら断ち切って友達すら作らなくなってしまう。ヒロインにも目を向けてみれば、その姿勢はよりねじ曲がった形で明快になる。従姉で生徒会役員、かつ遊のラブロワパートナーでもあるうたはの場合も恋愛部をやめて欲しいと遊に常日頃口にしつつも、枕詞である「悪評の立っている」を敢えて言葉にしないだけで、生徒会内での悪評を覆そうと孤軍奮闘していたことを誰にも話さなかった。幼なじみの小萌に至っては昔々に遊と花火に興じた際に目を傷つけられたことで彼の弱みを握ったと自覚しつつも、それを利用して遊本人を恋人にしようと画策するくらい肝の座りっぷりを見せていて、なおかつその行為に罪悪感を抱いている。
 結局のところ、メインキャラの誰もが「妹の世話があるから」「泣いたらお母さんが安心出来ないから」「悪評が立っているから」「好きだから」などの建前を最大限有効活用して「部活したい」「甘えたい」「やめて欲しくない」「嘘をつきたくない」などの、肝心の解決すべき本音を完腐なきまでに叩き潰しているに過ぎないのである。端的に言えば全員が天の邪鬼なのだ。『こいとれ』の場合その性質が露骨な形で明示されている。

【海】「……うみのせいなんだ」
【海】「うみがしっかりしてないから、お兄ちゃん、誰ともつきあおうとしないんだ」
【海】「友達とも遊ばないんだ」
【海】「うみがいるから、お兄ちゃん、時間がなくて……」
【海】「小萌さんも、うたはお姉ちゃんも、好きになろうとしないんだ」
【海】「誰も、好きになろうとしないんだ」
(中略)
僕はだから、詩織さんやうたはに対してだけじゃない、海にも気を遣っていたのだった。
海はそれを気にしていて、海もまた僕に気を遣うようになってしまった。
海は学校の友達と距離を置く。
それはなにも、母さんの死のショックからという理由だけじゃない。
僕にも原因があった。
だって僕もまた、学校の友達に距離を置いている時期があった。
それは海のためだった。
放課後、僕はクラスメイトの誘いを断り、まっすぐ家に帰って海と一緒に買い物に出かける。
海を家にひとりにしないために。
だけどそれは、海のためになっていない。
なぜなら海は、僕がまっすぐ帰ってくるから、先に家で待っていなければならなかった。
海もまたクラスメイトの誘いを断り、僕と同じようにまっすぐ家に帰らねばならなかった。
僕が海に気を遣ったから。
連鎖し、海もまた、僕に気を遣わざるを得なかった。
(こいとれ『7月16日』)


3.隠蔽工作の方向性

 では同様のこと…建前ばかり言い続け本音すら叩き潰す天の邪鬼の姿勢は『こいとれ』以降の作品にも適応出来るのか、と問われれば、答えは「Yes」である。
 まずは『星メモ』を例に見てみる。舞台となる雲雀ヶ崎の展望台に住み着く、自称悪夢を刈る死神のメアは基本的に本音を一切漏らさない上に、内心喜んでいるにも関わらず「バカバカ」と口にしているし、主人公の洋も雲雀ヶ崎で同居する叔母の詩乃さんに甘えることを自ら禁じているし、小学校時代の幼なじみで天クルの部長である明日歩は、小学生の七夕行事で洋が「夢に会いたい」と書いた短冊偶然見つけ、それを唯一の繋がりとして大切に保管しているが、洋には本命がいるので自分と結ばれることはないと思い込んでいる。このように『こいとれ』とほぼ同じ様にそれぞれ本音を隠していることが明らかになっている。これは『HW』においても例外ではない。さすがに主人公が甘えることを忘れていると言ったことはないが、その役割は幼なじみである雪見に受け継がれている。さらに言えばメインヒロインの爽乃は本来の引っ込み思案な性格を隠すために、そしてその性格を矯正するために演技を自らに強要して本音をひた隠しにしている。これ以上ない天の邪鬼の代表格である。やはり『後期』の作品群からは、記号的なテンプレート以外に個人が抱えるパーソナリティすらも共通している部分が見受けられる。
 だが『こいとれ』以降の作品では『こいとれ』との決定的な違いが生まれている。それは一口に言葉にすれば「本音と建前の配分」だろう。ではその「本音と建前の配分」とは何かを端的に表している代表的なルートを各作品毎に抽出していこう。
 例えば『こいとれ』の羽音先輩ルートについて。羽音先輩が首から大事にぶら下げているロケットの中身は一体何なのかを知ることが羽音先輩の本音を知ることに繋がるのだが、彼女に内緒でロケットの中身を覗き見して、中身が空であると知ってしまった現場を抑えられてしまうことで、彼女の守りたかった建前に土足で踏み込むだけで本音が何も明らかにされずに嫌われるだけで終わってしまう。結局彼女の本音はルートの終盤になって、彼女の幼なじみである比嘉と彼女自身の口から明かされることになる。

おとなしくてかわいい同い年の女の子とくれば、男の子から見たら放っておけない存在だったのだろう。
ただ男の子はみな幼かったから、その女の子に対する好意をうまく表すことができなかった。
だから―――
男の子はみんな、女の子をイジメてしまう。
(中略)
だけど……。
たったひとりだけ。
自分にイジワルしない男の子がいた。
(中略)
【比嘉】「あいつに拠り所があれば、イジメられても親や先生には告げ口しないだろうって……」
【比嘉】「俺は、そう思ったからロケットを渡した」
【比嘉】「むしろ俺は、小日向をいじめようとほかの仲間にけしかける側だった」
(中略)
【比嘉】「小日向のロケットの君は、イジメの際に自分を助けてくれる正義のヒーロー的存在を求めたときに誕生した」
【比嘉】「その存在により近かったのが、当時の俺だった」
【比嘉】「だからこそ、小日向がすがっている比嘉曜一は、俺じゃない」
【比嘉】「小日向を守っているのは俺じゃない」
【比嘉】「小日向が好きなのは、俺じゃない」
【比嘉】「俺を、都合のいいように理想化した、ただの偶像だ」
(こいとれ 羽音ルート『6月22日』)

【羽音】「わたしが愛している比嘉曜一は、比嘉くんじゃなかったんです……」
【羽音】「なのにわたしは比嘉くんを、一方的にロケットの君として見ていた……」
【羽音】「比嘉くんには迷惑だとわかっていても……」
【羽音】「わたしはやめることができなかった」
【羽音】「だから、この言葉は、わたしと比嘉くんを指しているんです」
(こいとれ 羽音ルート『6月22日』)

 対して『星メモ』の明日歩ルートについて。明日歩の抱いている建前と本音とは「相手には本命がいて自分の初恋は結ばれない」と言うものだが、ルートに突入した途端に以下のような書き出しがある。

その頃の明日歩は洋と友達になりたかった。
誰とも仲良くしようとせず、大きな壁を作って近寄りがたい雰囲気をまとっていた洋を、明日歩はいつも気にかけていた。
遠くから見ているだけじゃない、洋と普通におしゃべりしたり遊んだりしたかった。
そんな願いがこの短冊には込められている。
(中略)
友達になりたかった。
だけど、それだけじゃなかった。
きっと子供の明日歩もそれ以上を望んでいた。
そして、だからこそ、この初恋の想い出が今になって辛く自分にのしかかっている。
幼かった自分の初恋を理解できるから、同時に、洋の気持ちだって理解できるのだ。
想い出を大切にする気持ち――展望台の彼女に想いを寄せる洋の気持ちを、自分のこの気持に照らし合わせて考えることが明日歩にはできるから。
(星空のメモリア 明日歩ルート『9月3日』)

 加えて明日歩本人の悩みの種である短冊が、悪夢を刈り取るメアによりはっきりと「悪夢」と断定されることで問題が可視化されている。

メアが明日歩の背後に現れ、カマを振るい、明日歩の胸を背中から貫いた。
明日歩の手にある短冊が霧散する。
塵となり、舞うその姿はまるで鱗粉。
【メア】「それが、あなたにとっての悪夢だった」
【メア】「わたしが、今、それを刈った」
明日歩の悪夢は、光を残して消滅した。
(星空のメモリア 明日歩ルート『9月23日』)

 最後に『HW』の友奏ルートについて。友奏は過去に作文で賞を取ったことがあると言うだけで演劇部の脚本担当に選ばれたが、気のてらいもなく言えばアホの子である。授業中はほぼ全ての時間を寝て過ごしアルバイトに精を出す、テストでは鉛筆を転がして運任せで全てを乗り切るくらいのアホの子なので一見して悩みはないように思われるが、共通ルートにて窓の外から色を数えるという日課が明かされる。

二階の部屋から外の風景を眺めている。
友奏は色を数えていた。
空の色は青。
太陽は白。
木は緑。
電柱は灰色。
【友奏】「あ、電線にスズメが止まってる……」
二羽、寄り添っている。つがいかな?
あれは、茶色。
これは朝の日課だった。
誰にも言えない秘密の日課。
数え終わらないことには友奏の一日は始まらない。
(Happy Wardrobe『4月8日』)

 この日課の意味は後に友奏ルートにて主人公・明人がビーズで編んだ指輪をプレゼントした際に「ある色」だけを認識していないことで明かされている。

【友奏】「赤……オレンジ……」
そう、ぼんやりと色を数えている。
【友奏】「たまに、白……」
光が飽和し、指輪はときおり白く輝く。
【友奏】「赤……オレンジ……白……」
【友奏】「それに、灰色……」
……え?
(中略)
【友奏】「ありがとう……」
友奏はときおり口にしていた。
俺は既に知っていた。
色を探していると、繰り返し言っていたこと。
【友奏】「あたしに、新しい色を、ありがとう……」
俺は、やっと合点がいった。
【友奏】「本当に、ありがとう……」
俺はこのとき友奏の秘密を知った。
友奏の世界の秘密を知った――――
(Happy Wardrobe 友奏ルート『10月』)

 以上より、各作品のルートを横断的に眺めることで導き出された「本音と建前の配分」とは、要するに両者のさじ加減の問題である。『こいとれ』では建前ばかりが先行して本音を推測する余地すら見出すことが困難を極めているのに対して、以降の作品では建前や本音がきっちりと伏線として作用し、結論を導き出すことが比較的容易になっている。キャラクタたち自らは本音などお首にも出さない天の邪鬼であることは一切変わりはないものの、両者の見せ方に緩急が付き没入しやすく構築されているのだ。


4.主人公による解法と物語構造による救済

 主立った登場人物が天の邪鬼であることはこれまで繰り返し述べてきたことで、より強固なものとして意識されているだろう。そう言った天の邪鬼体質を『こいとれ』以降はあまり意識させないように、よりわかりやすい形で作り直されていたこともこれまでに述べてきた通りだ。ただ単に全員が天の邪鬼なだけでは物語におけるカタルシスも何もあったものではない。誰もが本音をひた隠しにしている中では、誰か一人でも行動として実現させない限り物語自体動くことがあり得ないからである。その物語が動くためのフックとなるのが主人公と言う存在である。
 これもまた『後期』の全作品に共通する事柄であるが、主人公は主人公としてヒロインが隠し持っている本音や秘密を引きずり出すために最大限の努力と叡智を費やしている。例えば『HW』の明人は爽乃が天の邪鬼根性を発揮して本来の性格を隠し続けていることを暴くために、明人本人が過去のコスプレイヤーの経験を元に女装をして本人が引き篭もっている女子寮に忍び込み爽乃と直に話し合う機会を得ることで本音を引き出すことに成功している。例えば『星メモ』では双子姉妹の妹であるこさめルートにて、こさめ自身が本当は死人であり人外の存在であることを、洋が作中のわずかな違和感やヒントを元に暴き出してこさめに寄り添うことに成功している。
 こうして主人公はヒロインに寄り添うために望まれる最適解を導き出すように努力することになる。結果としてそれはエンドと言う具体的な形を帯びてくることで、目的の一つを達成している。しかし相反する事実として、主人公にはそれぞれ本来の目的…そもそも物語を動かす契機となった出来事が背後でナリを潜めていることを念頭に置かなければならない。『こいとれ』は「本気の恋を見つけること」であり、『星メモ』は「幼なじみの夢と再会すること」であり、『HW』は「爽乃にお手製の衣装を着させて演劇に出演して欲しいこと」である。つまるところ主人公が行動を起こすためのキッカケは総じて一人のヒロインへの執念深いストーカー体質に起因している。
 それらの主人公本来の目的を達成するための一助として作用してくるのが、各作品の分岐構造である。『HW』は分岐点は一つのみで『後期』の作品群の中では比較的容易にルートとして入り込める。『星メモ』は双子姉妹の姉であるこももルートをクリアすることで妹のこさめルートが開放され、お隣さんの衣鈴ルートをクリアすることで異父兄妹の千波ルートが開放されることに加え、ヒロインを一人クリアする毎に共通ルート内で夢が出現する頻度が少しずつ上がっていくなど、段階的に本来の目的に近づいていく。
 そして『こいとれ』は、主人公の最適解を導き出す姿勢と選択肢が奇妙な一致を得た興味深い例として標榜することが出来る、完璧かつ異質な構造となっている。単純な選択肢の多さもさることながら、共通ルートを読み進めていく途中で各ヒロインに重要な選択肢が提示され、それを選択することで各ヒロインのルートに自動的に突入すると言う、所謂ヒロイン脱落式の構造を取っている。この形式は必然的に最も重要なエンドは最後まで後回しにされていることを示唆しているので、主人公を本来の道筋へ誘導することが簡単に済むのである。そして何らかの形でエンドを迎えると、そのエンドにおける「恋愛偏差値」なるものとして数値化され結果と照合が提示される。例を挙げれば、カナ先輩エンドを迎えた際には「恋愛偏差値70点 鹿子木ゆうを手に入れた男」など。ヒロインとのエンドを迎えるためには、この「恋愛偏差値」で程良い点数を維持しつつヒロインとのフラグを成立させることがクリアの絶対条件となるのだが、全てにおいて最も理想的な答えのみを選択することに終始してしまうとヒロインとのフラグが一切成立せずに「高偏差値エンド」へと導かれてしまう。それは最後に以下のやりとりを以て締めくくられている。

【カナ】「ボクからキミへの、よくできましたで賞」
ちゅっ。
ほっぺにキスをされた。
【カナ】「ラブロワ勝利、おめでとう」
【カナ】「この経験は、きっとキミを助けてくれる」
【カナ】「行動力、計画性、情熱、コミュニケーション、そしてセンス……」
【カナ】「ラブロワで培った力は、いつか必ず役に立つ」
【カナ】「キミの恋が、実りある恋でありますように―――」
(こいとれ 高偏差値エンド『3月6日』)

 このやりとりの果てにたどり着いた高偏差値エンドにて授けられる称号は「鹿子木ゆうの片思いの相手」である。「恋愛偏差値」を基準に理想的な答えを繰り返した結果、本気の恋を見逃してしまっているのである。何と言う皮肉に満ちた最後だろう。
 つまり『こいとれ』は、なかひろ主人公の特性を選択肢として分化することに成功しているだけでなく、最適解のみを追い求めることを全く良しとしていないと、アイロニーに塗れたエンドを示すことによって理想的な構造を構築しているのだ。主人公の救済とは程遠く、かつ納得を得られる着地点だろう。


5.結論と期待

 結論として、これまでのことを簡潔にまとめてみよう。
 なかひろ作品には属性やシチュエーションがテンプレート化されていることで、掛け合いに一種のお約束が設定されている。登場キャラの大半が本音を常に晒け出さない天の邪鬼であり、同様に天の邪鬼なヒロインたちの本音や秘密を暴き出すために、元来ストーカー体質を持つ主人公が最適解を導いていく。だが、その主人公自身の本来の目的を達成するためには物語を形作る選択肢構造によるサポートを受けねばならないのだ。
 以上を『後期』なかひろ作品の特徴としてここに記す。言葉にすればこんなところだろう。
 そして現在、Purple softwareの新作であり、なかひろが企画・シナリオを担当する『初恋サクラメント』の発売が約1ヶ月後に迫っている。*2現在体験版が公開されており、この体験版からも主人公が親族に甘えない性格をしていることや、世話焼きたがりの大学生の姉、入寮先の寮母さんとの「頭撫でないでください」と言うお約束の掛け合いだけでなく、メインヒロインが人助けを目的とした「大空部」を創部するために動き出すことになる。今回本文で指摘したなかひろらしさが最大限まで滲み出ている。
 果たして今回の作品は、これらのお約束の中で如何なる本音や秘密が主人公によって暴かれるのか。それに期待しつつ今回は筆を納めることにしよう。

*1:もちろんタッグを組んだプレイヤーとパートナー同士で恋愛しても敗北となる。

*2:執筆時の2010年11月14日現在、初恋サクラメントは同年12月24日発売予定。

演出家「るーすぼーい」へのラブレター 〜シナリオのセオリー〜

(初出:theoria『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』)


0.寄稿によせて

 今まで二桁を数えるくらいしか恋愛ゲームをプレイしていない若輩の身であるが、その中でも特に際立って自分の心を捉えて離さない、唯一無二のシナリオライタが存在する。彼の紡ぐ物語は常に自分の心に重いシコリのようなものを残すこともあれば、人生における倫理観にも呼びかけるくらい強烈な印象を与えてくれた、間接的に自分の生き方にも影響を及ぼしたと言い換えてもいいだろう。事実彼の作品だけ、商業展開に沿ったものだけであるが全て蒐集するほどに、自分は彼にあてられている。浮かされている。そんな彼については作品をプレイする度に思うところがあり、時を経た今だからこそ書き連ねばならぬものがあるだろうと常日頃から感じることがあった。今回この場を借りて自らの思う彼への気持や疑念や熱情を、思い至ったところや感じたところを全てをぶつけていこうと思う。だからこそのラブレターなのだ。
 その彼の名は「るーすぼーい」である。今回の企画で自分が担当することになった、憧れでもあり畏れでもある何かを抱かざるを得ないシナリオライタだ。
 今回のような立場にあることが俄には信じられないことであるが、こうして機会を与えてくださった主催者のthen-d氏には、改めて感謝の意をここに表明したい。
 では前置きも早々にして、本文へと移りたいと思う。
 なお本文には主旨の特性上『車輪の国、向日葵の少女』(以下『車輪本編』)『車輪の国、悠久の少年少女』(以下『車輪FD』)『G線上の魔王』(以下『G線』)『その横顔を見つめてしまう』(以下『その横』)のネタバレを多大に含むことを留意していただきたい。


1.車輪の国に見る等身大のキャラクタ

 るーすぼーいの魅力なるものを考えるにあたりまず最初に思い浮かんだのは、作品内に点在するキャラクタたちの「強さ」に依存している点にあるのではないかと言うことだった。強さの定義も曖昧なものであるが、精神面と肉体面双方の観点から判断された、純粋な力や魅力のようなものを表す単語として扱ってみた。
 そこから導き出された結論は、彼の作品に登場する人物たちは、作品単位で考えると皆一様に強すぎる人物と弱すぎる人物が錯綜しているのだ。その全体の模様から紡ぎ出されるキャラクタ同士のドラマチックな相関関係こそがるーすぼーい最大の魅力として機能しているように思えてくる。
 具体例として『車輪本編』と『車輪FD』から読みとるなら、法月正臣・・・ひいては特別高等人と言う車輪の国特有の、罪人が刑務所に入らず日々の生活で義務と名の制約を課せられる希有な法律制度が絶対的な社会の権力者の象徴として作品全編で存在感を醸し出している。背景設定の一言で済ますにはあまりにも無視できない事柄の一つだ。これは『車輪FD』で本編における正臣の立場として上り詰めていた法月アリィにも共通する事柄である。

【法月将臣】「謝るな」
【法月将臣】「指導者は、謝るな。誰かに責任を押し付けられない立場の人間の謝罪が許される社会は堕落の一途を辿る」
(車輪の国、向日葵の少女『第一章 特別高等人』)

【法月アリィ】「謝るな」
【法月アリィ】「以後、生きている限り二度と謝るな」
(車輪の国、悠久の少年少女『序章 姫君』)

 特別高等人の一連の言動は全て社会と言う人間社会の不文律を背景としており、裏打ちされた正論と暴力で何もかもを握りつぶす力を秘めている。義務を課せられた罪人を裁くのも殺すのも放つのも特別高等人のさじ加減一つで決まってしまう。以上の点から作中でも絶対視される物理的な力を所持していると言い換えてもいいだろう。まさに主人公やヒロインの立ち位置からすれば正しく悪役としてそこにいる。
 翻ってヒロインたちに目を向けてみる。作中において「向日葵の少女たち」と揶揄される彼女たちは、一様に義務を課せられており罪人としてのレッテルを貼られている。彼女たちに肉体面での体力もなければ社会としての後ろ盾も全く存在しない、理性的に見れば敗北者であることは明らかであるはずだった。しかし彼女たちは本当に敗北者だったのか否かは、プレイしているユーザーなら目の当たりにしているはずである。彼女たちが暴力に屈しない程度の精神的な強さを象徴していることは明白だった。最終的に彼女たちは物理的暴力の象徴である正臣に屈することなく最後まで抵抗していたのだから。
 往々にしてこの手の強さを手にして、ハッピーエンドに至るまでの救いをもたらすには、物語の展開において主人公との出会いによる環境の変化が直接のきっかけになり、主人公がヒロインを救う方程式が成り立つことが多い。有り体に言えばボーイミーツガールの典型であるが、向日葵の少女たちの場合このセオリーには当てはまらないのではないだろうか。むしろ主人公の賢一こそがヒロインたちによって救われる構図が成立しているのではないかと考えている。
 もっと単純な言葉で表現するなら、ヒロイン自身の決断に主人公が差し挟む余地が全く見つからないのだ。あくまで最後の最後の精神的な強さを奮い立たせて現実に立ち向かう勇気を取り戻したのはヒロインたちの所行であり、どの場面においても主人公の賢一はよくて橋渡しか、最悪決断の阻害を促しているのであって、ヒロインの決断や所作に直接的に影響を及ぼしていないのである。
 厳密に言うならヒロインは主人公に精神的には依存しているのかもしれない。しかし彼女たちの決断はあくまで彼女たちのものであり主人公は埒外の領域に追いやられていると言える。それはさちとまなが「あえて離れる」ことを決断したときであり、灯花が手料理をよそい続けて「選ばない」ことを表明したときであり、夏咲が賢一を庇って想いを声高に叫んだときである。少女たちの各々の決断は賢一の心に確かな安らぎと精神的な強さを自覚させることになる。この互いに作用しあって補助しあう従来の構図とは違う、キャラクタ単位での独自の強靱さこそがるーすぼーい作品を輝かしく見せる一因だろう。
 そんな賢一の一連の精神的な強さを育む課程と反比例してしまった例が、法月こと阿久津正臣の過去である。彼の場合、みぃなが作詞への情熱と正臣の両親への思いやりに殉じて、法月アリィからの執拗な暴力に断固とした態度で抵抗し続けたことを目の当たりにしたことで、自らにない強さを彼女に見いだしていたことは間違いない。それは彼がみぃなを慕うようになったことが何よりの証明となるだろう。だがそれを目にしても自らの理性的な考えを払拭できなかったことが何よりも正臣と賢一の違いを如実に表していると言える。結局正臣は考えることを放棄したに等しいのだ。立ち位置は賢一に非常に似通っていたにも係わらず理性を捨てきれなかった脆い男がそこにいるだけだ。そんな彼も『車輪FD』ラストシーンにおいて向日葵の少女たちの決断に促され、愛に殉じることになる。
 つまり正臣たち主人公の立場についているものが肉体面での強さを遺憾なく発揮している反面、精神面で理性を捨てきらず弱りきってしまっていることに対して、ヒロインたちの精神面が強すぎるのだ。最後の決断を促される前に自らを奮い立たせて物語を強制的に動かしてしまうくらいの強さを秘めているのだ。さながらヒロインの存在こそが物語と同義であるかのように。この対比構造の関係である故に人間的な等身大の姿が映し出されていることが更に正臣や賢一の魅力の一つとして見えているのは間違いない。


2.引き継がれるG線上の魔王

 そしてこの強靱過ぎるヒロインと脆弱すぎる主人公のアンバランスな対比構造は『G線』でも正しく引き継がれることになる。しかし『車輪本編』『車輪FD』と決定的な違いがある。主人公が所属するのは、社会的観点で見れば紛れもない「悪」であることだ。このことに関しては『G線』発売記念ブックのインタビューにてるーすぼーい本人からのコメントがある。

【るーす】「『G線上の魔王』は“悪”の話なんですよ。ハルや椿姫などヒロインを含めて登場キャラはすべてに多かれ少なかれ“悪”を内包しています。ゆえに最後の最後に出てくるとあるキャラが“天使”でそれ以外は全て悪人という話なんです」
(とらのあな 発売記念ブック『主よ、人の望みの喜びを』)

 つまり『車輪本編』『車輪FD』が社会の必要悪であったのに対比して、『G線』では純粋に「悪」の視点から物語を構築しているのである。テーマ性にブレはあるものの、そこで描かれるキャラクタたちは紛れもなく『車輪本編』『車輪FD』の系統を受け継いでいる。
 主人公の京介は極道の義父・浅井権三の仕事を借金返済のために働き続ける金の亡者であり、いざというときの機転と本来の陽気な一面は確かに長所だが、実父が殺人犯でありマスコミに追われ続けた過去の過度なストレスから健忘症の症状が見受けられるなど、社会的な強さを併せつつも精神面での弱さが露呈している。まさに賢一同様に両極端な主人公像だ。そんな所属する悪の一面を一手に引き受ける、車輪における正臣の役割を果たすのが京介の義父である浅井権三と、彼の兄である鮫島恭平こと魔王である。両者共に悪を象徴しているのは間違いないが、浅井権三が社会の絶対悪であるのに対比して、魔王の場合は殺人犯である実父の釈放を命題とした信念ある悪であるのは、力持つものの拮抗と些細なきっかけで崩壊する危うさを暗に示しているとも言える。
 対してヒロインたちも当初は大なり小なり危ういものを備えている。クラスメイトの椿姫は盲目的に人の善意を信じきってしまう家族想いのお人好しであるが、一度転じれば家族すら顧みない悪女に転身する気来を持っている両極端な性格だ。義妹の花音はフィギュアスケートの名手を努めるほどの意志の強さがあるが、言葉を換えれば自分本位で他人を省みない。学園理事長の娘の水羽は態度こそ表に出ないものの、好いている相手にどこまでも依存しきってしまう弱さしか備わっていない。そしてメインヒロインのハルは魔王への復讐と殺害にだけ囚われている。作品のテーマにふさわしくヒロイン全員が悪に転じる危機を内包している。
 だがこの作品においても個別の話にて各ヒロインは主人公すら置いてけぼりにしかねないほどの精神面での強さを誇示することになる。京介が仕事にて椿姫の家を地上げのために強襲せざるを得なくなったことに対しても、椿姫本人は京介を庇うための日記帳をその場に残していく気遣いを見せ、花音は世界で誰もが見放した卑しい母親のただ一人の味方であり続けることを決断し、水羽は依存することをやめて姉であり交渉術に長けたユキを見本とした生き方を貫き通した。ハルに関しては物語の最後まで復讐に囚われていたことによって弱い一面しか出てこなかった上に、本人が家族として待ち続ける覚悟をするきっかけとなった事件がドラマCDにて未だに完結していないため消化不良感が否めないが、最終的に京介との子をお腹に宿して、家族として彼の帰りを待ち続けることを選びとっている。また京介自身もハルのルートまでにおける少女たちとの触れ合いを通して、ハルを殺人未遂の容疑から外すために自ら悪役に徹する程度に強靱な精神を獲得するに至ることになる。基本の話に違いはあれど『車輪本編』『車輪FD』と『G線』のキャラクタ配置やキャラクタ同士の独立した魅力に大きな違いは全くないのである。これは商業展開における、るーすぼーいの鉄則の一つであることを意識せざるを得ない。


3.場面演出とパラレルの矛盾

 上記の鉄則に準じたキャラクタたちは誰もが確かに魅力的だ。しかしただキャラクタ個人の魅力だけで今日までるーすぼーいが支持されているとは考え難いものだ。ただキャラクタを動かすだけなら凡庸なシナリオライタでも可能なことだろう。だがそれだけではなく、るーすぼーいにはるーすぼーいにしか成し得ないであろうやり方や話運びにこそ、彼の真骨頂が隠されていると言ってもいいのだ。
 るーすぼーいのこれまで手掛けた作品には必ずと言っていいほど用いているやり口がある。いわゆる叙述トリックである。言葉のレトリックを巧みに使用しユーザーのミスリードを誘う、ミステリーの文脈に則った手法だ。『車輪本編』での「あんた」への独り言が賢一の姉である璃々子に注がれたものであった一連の流れに心をしてやられたユーザーも多いのではないだろうか。『G線』においても目敏いほどに主人公=魔王の二重人格を疑わせる記述を何度となく匂わせることで疑念を募らせるだけに留まらず、魔王が死亡したと思わせておいて生きて帰ってくる場面などで遺憾なく発揮されていた。恋愛ゲームにおいて本格的にユーザーを騙くらかすシナリオライタなど他にいるだろうか。
 叙述トリックとはその性質上、ユーザーの固定観念を逆手に取る以上プロット段階まで練り上げなければ成立しない手法である。このことはるーすぼーい自身も車輪のビジュアルファンブックにて以下のように言及している。

【るーす】「基本的にプロット優先なんで、この無茶なストーリーを通すために世界観も作りました。あくまで筋書きのための設定なんで、実は目に見える部分以外の義務に関わる設定とか存在しないんですよ」
(一迅社『車輪の国 ビジュアルファンブック』)

 以上のことからも伏線の配置、キャラクタ毎に役割の分担、過程から結末に至るまでの流れを大まかに決める段階から組み立てられていることが伺える。構築し完成させるまでの素材が全て用意されているが、その実話運びに必要だからこそ生み出されている。あくまで展開を一筋に決めているところがるーすぼーい作品において見受けられる。山場の場面に至るまでの過程すらも結末のために用意されたスパイスであるように。
 言うなればるーすぼーいは演出家気質であるのだ。場面展開への下準備を、キャラクタ配置にまで気を付けながら詰めていく。大きな流れを全く変えずに場面展開で最高潮のカタルシスをユーザーに味わわせるための演出に抜かりがないのだ。その山場ですらも最終的には結末に至るまでの途中経過として機能させていることこそが彼を演出家として印象づけているのだろう。『車輪本編』で正臣と賢一が最後に互いのブラフを証明しあう場面に至るまででも、「賢一が正臣を出し抜く」と言う場面のための演出として扱われていることが証左だ。大雑把ではあるが物語が破綻していないことが脅威でしかない。
 るーすぼーいを演出家と呼んだ所以はそこにある。一言で言えば天才肌なのだ。プロット単位での綿密な設定を、場面単位の描写を突発的な構築力でコラージュのように繋ぎあわせていくことに長けているのだ。大筋だけ決めて勢いで仕上げること、それがるーすぼーいのスタイルでありセオリーなのだ。
 これら共通ルートないし物語の場面単位に必要以上に力が注がれていることが彼の一番の強みである。しかし各ヒロイン毎の分岐は、あくまで本筋とはかけ離れたパラレルとして扱っている節がある。恋愛ゲームにおいては分岐はセオリーであるが、共通ルートに注力するるーすぼーいにおいてそのセオリーは通用するのだろうか。
 ここにるーすぼーいの致命的な欠点が浮き彫りになってくる。素材は確かに極上であるし手法も全体の流れから決められている、場面毎にコラージュのように繋ぐ話運びは確かに目を見張るものがある。しかしそれ故に本筋とは違うパラレルに走ったときに物語の整合性が全く取れなくなってしまっているのだ。この問題は『車輪本編』では、あくまで共通ルートが本筋でヒロインとの逢瀬がアフターの扱いであったことからあまり問題にもならなかったが、『G線』では章毎にパラレルとしてのヒロインルートへの分岐が存在することで個別間での辻褄合わせが意味を成していないことが浮き出てしまっているのだ。
 わかりやすい例を挙げれば、魔王=恭平はルートの最後に都市を巻き込むテロを敢行する計画を10ヶ年単位で練り上げていたにも係わらず、本筋であるハルルート以外では忽然と姿を消すことになる。長年練り上げた計画を個別ヒロインのルートに突入した程度の差異で簡単に諦めるとは到底思えない。しかしこの部分に関しても、るーすぼーいはG線ビジュアルファンブックのインタビューで公式に解答しているので抜粋する。

【るーす】「(略)実は椿姫ルート、花音ルートでは魔王=京介なんですよ。京介の二重人格なんです。水羽に関しては僕もわかんないです。なんか消しました(笑)」
(一迅社『G線上の魔王 ビジュアルファンブック』)

 つまり魔王の正体を設定単位で変えてしまっている。パラレルにはパラレルなりの分岐と背景をでっち上げて用意する、悪く言えば行き当たりばったりなやり口をにべもなく敢行しているのだ。細部の綻びがあまりにも大きすぎることから鑑みても目に余る醜態と言うほかないだろう。作品全体の配慮に欠けること。それこそがるーすぼーい最大の弱点であることは明白だ。枝分かれした部分にまで目を向ければ大きな穴が見えてしまう、作品に一貫して見受けられる矛盾を一切解消していないことは間違いなく汚点となる。るーすぼーいは場面単位の盛り上げに長けた演出家であるが、シナリオライタとしては致命的な矛盾を抱えているのだ。


4.異例の問題作『その横』

 これまでの話で、るーすぼーいが天才肌の演出家気質であることと、キャラクタや場面のために一定の下地を定めている故に抱えている整合性の弱点を指摘してきた。しかしこれらのセオリーが全く通用しないために、問題作であり怪作たらしめているものがある。それが『その横』である。『その横』は元々の販売元が同人であり、発売時期が『車輪本編』以前の作品である性質上、コンセプトの違いが如実に現れている異作でもあるのだ。架空の法制度による権力の構図もなければ魔王に阻まれる命がけの純愛も全くない。
 もちろんこれまで何度となく記述してきたセオリーに通ずるところは数多ある。キャラクタの独立した強靱さと魅力は、主人公の真之が持っている向こう見ずな人を信じ続ける精神やヒロインの未来が最後まで陸上1500Mを病気を患いながらも完走したところに見受けられている。恒例の叙述トリックを用いた伏線は、義妹の莉寿を陥れた犯人が親友の快音であると思わせて、幼なじみの美桜であったミスリードなども健在である。莉寿が最終的に美桜の過ちを赦す場面までの展開も演出家としての本領を如何なく発揮している。これだけで見れば既存の概念で全て説明できるものであるが、どう足掻いても覆せない違いが大きく分けて二つ見受けられるのだ。
 まずはヒロインと主人公の構図である。『車輪本編』『車輪FD』『G線』の一連の作品群は等しくヒロインが主人公の救済に作用している構図が成立していたのに対し、『その横』は主人公の真之がヒロインたちを救済する話になっているのだ。過去に本当の兄が恋しくて新しい環境を拒絶した莉寿が真之を刺した時、真之は笑って莉寿を心配していたことや、未来が1500Mトラックを走りきる努力を完遂するために、一度陸上競技を諦めた真之も共に走り続けて励まし続けたことや、美桜が孤独に世の中を達観しクラスから孤立していても彼女への気持ちを偽らなかったことなど、真之がヒロインを救済する契機になっていることが最大の違いである。るーすぼーいだからこそ異質になる主人公の扱いだ。
 次に物語の構成である。るーすぼーいの商業作品は前述のように、分岐するにしても『車輪本編』の場合はあくまでおまけとして割り切っており、『G線』に至っては章毎にヒロインルートへと脱落する形式を取っているなど、共通ルートやハルルートなどの話の大筋が前提条件となり物語が展開されている。しかし『その横』に限れば、共通ルートの選択肢でヒロインを中心に場面展開する、従来の恋愛ゲームの文脈が用いられているのだ。パラレルを容認していることで物語の整合性に気を付ける必要もなく、恋愛ゲームとして正しく形を保っていると言い換えてもいい。
 以上の点を鑑みても『その横』は異例として扱うことしか選択肢が用意されず、セオリーに反しつつも作品を裏切っていない怪作であると言えるだろう。『その横』にこそ、るーすぼーいの全力を垣間見ることが出来るのかもしれない。


5.最後に

 これまで長らく作品全体を通じて、るーすぼーいと言う人物について言及してきた。基本的に作品構造を見つめ直すことや手法の賞賛ばかりで埋めてきたが、醜悪極まりない弱点も同時に言及させてきた。それは偏に、自分がどれだけ言葉を取り繕うとも、弱点を批判しようともるーすぼーいの計算とはほど遠い「演出家」としての側面と、その演出で演じられた愛らしくも脆いキャラクタたちを愛しているからである。どれだけ矛盾を突こうとも感動させられた心だけは本物なのだから。
 だからこそ最後に、向日葵の少女たちやG線上の悪魔たちや横顔に魅せられた一人として、向日葵の花言葉の一つを添えて今回の文責を終えることにする。

「私の目は、あなただけを見つめる」

ここだけは見とけっていうエロゲ情報サイト10選

ここだけは見とけっていうアニメ情報サイト10選(稀にライトノベルを読むよ^0^/)
はい、ハッキリ言えば二番煎じ以外のナニモノでもないのですが、Twitter上で半ば冗談(つまり本気半分)で発言した「書こうかな!」を実行に移した形になります。元ネタの記事がまとめ系のニュースサイトが閉鎖した場合を想定していたのならば、こちらは最近エロゲーマーになった諸氏は大体ここを参照にすれば全体の流れは拾えるのではないかなという指針のために挙げていこうかなと。
ある程度訓練されたエロゲーマーであるなら承知済みのサイトばかりだとは思いますし、あまり意味のないものなのかもしれないですが、まとめるにあたっていくらかサイトを巡回したところまとめサイトよりも求められるものがわかりやすいなぁと感じて非常に興味深かったので、備忘録の意味も込めて書き上げてみました。

もはやご存知と言ってもいいくらい説明不要の通販サイト。常にアクセスが重く表示が遅いことなのがネックですが、それを補ってあまりある利点として通販業務に限らず時には公式よりも早い作品ページの更新や発売日変更情報、加えてブログ連載などの独自コンテンツもあり大抵ここを見れば全体の流れも把握できるというもの。じゃあもうここだけで足りるんじゃないの?という疑問もありますがあくまで内容はげっちゅ屋というサイト内で収まっているので、それ以外の…例えば公式サイトの情報を重要視したいという人には向かないかもしれない。

企業運営のサイトとなるとここも外せないところではあります。作品の特集ページはもちろん特別性の壁紙やインタビューに動画番組などげっちゅ屋とはまた違う独自コンテンツが用意されているので、そこに重きを置くならたまに訪れてみるのもいいかもしれません。

個人経営の情報サイトとしては恐らく一番の知名度と更新頻度を誇るであろうサイト。何よりもエロゲメーカーの公式更新情報がほぼ毎日(日によっては数時間単位)で更新されており、かつ時にはメーカーから提供された素材で作品紹介ページまで構築している始末でなのでこれ以上ない情報源となります。メーカーの更新情報のみを追い求めているなら恐らくここ以上のサイトは出てこないでしょう。

雑記さいとの名の通りエロゲ以外の情報が充実しているのはもちろんなのですが、肝心のエロゲもメーカーの更新情報以外に個人のレビューやエロゲに纏わるネタを拾ってくるなど、とにかくアンテナ感度の広さに閉口するばかりです。加えてそれらの情報も数時間単位のリアルタイムで更新され続けているそのバイタリティの高さが一番の魅力であります。

その名の通り作品ごとの店舗特典の絵柄や内容をまとめたサイトになります。特典内容を重要視しているならここを参照すれば一発で全体を把握出来るので、店で迷っているならここで決めればいいんじゃないでしょうか?

基本的にはエロゲメーカーの更新情報であり、それ以外にも家庭用ゲーム機に関する情報をニュースサイトから拾ってきたものを載せているのですが、エロゲ雑誌のフラゲ情報がどこよりも早く載るので知ることを我慢出来ない人は毎月18日あたりに見に行けば幸せになれるかもしれない。

例よって例のごとく公式の更新情報を載せているポータル的な側面もあるのですが、何よりも動画サイトに上げられたエロゲ関連のデモムービーやプロモーションムービーをトップにまとめているのが特徴。ただどのように収集しているのかわからないのですが個人の上げられたものも無差別に遠慮無く載せていくのでたまに黒い動画も混ざっているのが玉に瑕。ただ、動画を公式サイトから落とす手間を省きたい、という人にとってはうってつけのサイトかもしれません。

ミラーサイトの最大手。エロゲに馴染みのない人にとってはミラーサイトとはなんぞやという話になるかもしれないので一応解説すると、エロゲメーカーに用意されている作品ごとのダウンロードコンテンツ(ムービーや体験版)は大抵サーバーが貧弱なので大勢で押し寄せると平気で503エラーを吐き出してしまうので、少しでも分散させるために有志の提供してくれるサーバーにて該当するデータを配布する形式を採っており、このサーバーを提供しているサイトこそが俗にミラーサイトと呼ばれるものです。数多ある中でもここを選んだのはメーカーの更新情報もさることながら用意されたミラーサーバーの多さが他の追随を許さないからでもあります。

サイトの内容としてはエロゲごとの批評を簡単に投稿したり自分のプレイしたエロゲを記録してプレイ数のサマリーを掲げて簡易的なデータベースを構築したりするためのサイト。なのですが、批評にすらなっていない感想や一言コメントが大半を占めておりそこに価値を見出せるのかどうかに左右される部分もあるので、取り上げていいものなのかは些か迷ったところなのですが、作品の大雑把な感想と発売予定表の見やすさを優先するならここ以上に最適なものもないだろうと思ったのであえて載せてみた次第です。

元ネタになったサイトとも被るのでどうかなーとも思ったのですが、コラム連載だったり店舗の予約数ランキングも載せていたりとエロゲ関連も結構充実しているので結局取り上げることに。つくづく化物であると実感したところです。


とまぁ大体こんな感じでしょうか。あくまで個人の主観の上で「ここが有用なのではないだろうか」と列挙してみたのが上記のサイトなのですが、大半が公式サイトの更新情報のポータルサイト的な役割を果たしているところがあり、そういった大量の情報をわかりやすく処理しているところが好まれる要因なのではないのかなぁ、とかなんとか。メーカーサイトへのアクセスが多いのもこういったところに理由があるのかもしれませんね。